思い出

 
 
通院の送り迎えをするとき
武蔵境駅前のかえで通りに、京王ストアがあって
母のおやつを買うためによく行ったんだけど。
ボクが普段行くオーケーストアに比べると、なんでもえらく高くて
 
ハーゲンダッツは、オーケーと比べると100円以上高い。
母が、希望を言わないことをいいことに、いつも安いMOWを奨めてた。
もう何か月も生きられないことが分かってたのに。
ボクはなんてケチなのだ。
笑い話みたいだけど、本気で後悔してる。
 
 
いちじくとおはぎも、好きだった。
いちじくは、
唯一母が食べたがった果物で、スーパーに行くと、いつも探していた。
何度か買ったんだけど。母のお眼鏡にかなうものはなかったっけ。
 
おはぎは、
オーケーストアのが、結構うまくて、何度か持って行った。
でも食べてくれたのは最初の頃だけだった。
胃がだんだん、食べ物を受けつけなくなっていって
アイスぐらいしか欲しがらなかった。
最後は、病院の60円の紙コップのカルピスソーダを喜んでた。
 
 
武蔵境のヨーカドーに
ドトールがあって
アイスカフェラテを飲ませたら
「なんてうまいものがあるんだ」
と驚いて
「なんでもっと早く飲ませないんだ」
と怒られた。
これから何度でも連れて行こうと思ったけど
結局、2度目はなかった。
 
 
老人ホームにいた母にとって、唯一の娯楽は、韓流ドラマだった。
通院で送り迎えするときは、天文台通りのTsutayaに行った。
気に入ったのがないと、他のTsutayaまで行かされたこともある。
天文台通りのTsutayaは、レンタルDVDが2階にあるんだけど
エレベーターとかないんだ。
最初の頃はわけもなく歩いてたのに、だんだん歩けなくなって
最後のころは、何を借りてくるかを聞いて、ボクだけで行くようになった。
 
その頃から
だんだんできることが減っていった。
自分で、デッキのDVDを入れ替えることができなくなって、同じDVDを何度も観てたり
同じものを繰り返し見てること自体、だんだん認識できなくなっていった。
 
 
ある朝、老人ホームの母から、慌てた様子で電話があった
 
「あたし、、、やっちゃったよ。」
 
それっきり黙るから、なにをやったのか問いただすと
 
「牛乳をこぼしてしちゃった。」
 
と。
何が問題で、何をしてほしいのか
分からなかった。
 
「どうしたらいい?」
と言うので
ボクのほうから、ホームに電話して、掃除してもらうから
と伝えた。
 
 
ボクは、できるだけ入院させたくなかった。
入院したら、
DVDも自由に見られないし、
病人の気持ちになっていまうし
なにより、それが最後になってしまうからだ。
 
だから、医者から「そろそろ」と言われても、
母に、
「まだ大丈夫だよね!?」
言い含めてた。
 
ある日、ホームに行くと、
おなかを抱え、
くの字になった母がいた。
 
なんで連絡してくれなかったのかと、ホームのヘルパーに文句を言った。
 
その日から、最後の入院をした。
母は、少し安心したようだった。
 
母は、ボクに気を使って入院しなかったんだ。